ことしもおわりがみえてきた

今週のお題「今年中にやっておきたいこと」

塔を巡る冒険の書、あと1回、薬師寺まで更新してから今年を仕舞いにしたい。

 

本文は書きかけているのです。たぶん更新できる状態なのです。写真を片付けていない。片付ける余裕がない。

 

実際は2015年に出掛けている。2015年に書いていた記事はこちら。

waterway.hatenablog.jp

waterway.hatenablog.jp1記事に1枚しか写真がない。何をやっとんのや。

2年も写真を片付けていないらしい。カメラのカードから、ハードディスクへデータを移動させているだけでも自分を誉めたい。薬師寺の写真片付けと合わせて、そろそろデジカメのデータ保存メディアの整理もしておきたい。

ともかくも、年内に写真を片付けたい。

年内に限らず、ずっと写真を片付けるためにブログ更新するつもりが、90日間更新していないとか、このままではいかんでしょう。

 

あなたなしではいられない

今週のお題「今年買ってよかったもの」

 

予定どおりPS4

すごいぞPS4

もうPS4無しの生活なんて考えられない。

 

ほんとは昨年の12月に買ってるはずだったが、あれやこれやで今年が半分以上過ぎてからようやく買った。そういうわけで、今年買ってよかったものになってしまった。

 

想像していた以上に、これすごいわ。ゲームしなくても、これすごいわ。

ゲームしないで何してるのかといえば、YouTubeを垂れ流している。主にゲーム実況。

ネットもコントローラーだけではちょっと不便だが、そこそこ使える。

これすごいわ。

ネットに接続さえすれば、何も余計なカードだのメモリだのも、必要ない。買ってきてモニタに繋げばすぐ使える。おまけにコントローラーは無線接続で振り回せる。

これすごいわ。

ゲームはさらにすごい。そもそも、据置のゲーム機利用に10年近いブランクがある。廉価版となっているPS3からの移植ゲーム群ですら、観たことも無い世界。休日は風邪を幸いに、布団にくるまって15時間連続でゲーム。コントローラーの充電が切れた。

 

帰ったらゲームしようと思えば寄り道もせず、無駄遣いもせず、ひたすらゲーム、ゲーム、ゲーム。

なのだが、ゲームへの耽溺を遮る問題が。

自分の操作能力が、ゲームに追いつかない。特にアクションパズル系の操作や、時間制限のある操作が無理。

この無能ゆえに、適当にゲームから離れてしまう。かえってバランスが取れてよいのかもしれない。離れたらYouTubeで上手い人のゲーム観て感嘆する。

 

おそらく、もっと楽しい使い方もあるのだろうが、今のところはまだゲームとYouTubeだけで満足している。これでオンラインチャンネルの契約なぞしたらば、危険極まりない。ずーっとPS4の前から動かない自信がある。

 

唯一、どうしても困った点は、音声出力が映像出力と一体化した端子のみで、モニタかテレビ側にスピーカーが無いと音声出力を単体でひっぱることが難しいこと。コントローラーからのヘッドホン端子で出力は得られるのだが、これはコントローラーが有線接続されている場合に限られる。おまけにヘッドホンなどのBluetooth接続もサポートされていないようだ。SONYからたくさん発売されているBluetooth接続のすてきなヘッドホンも使えないらしい。何でだよ。

困ったときのヨドバシカメラへはもちろん参拝済みだが、ホームシアター用の剛毅かつマーベラスな価格のスピーカーシステムへHDMI出力を経由させるほかなさそうなのだ。

何でそんなことで困るかといえば、テレビのスピーカーが壊れているから。先にテレビかモニタをなんとかしろという話でもある。

 

だが、そんなことは些細なことだ。どうせコントローラーの充電は切れる。ならば有線で構わないじゃないか。

それより、ゲームだよ、ゲーム。操作が無能なおかげで、なかなかクリアできないからな。コスパはいいよ。コスパのよさにかけては自信がある。

そして、来年早々にはモンスターハンターが発売される予定だ。

 

もうね、PS4無しの生活なんて考えられない。

ああ、でも、来年はNintendo Switchも欲しいな。

「エンドレス・ポエトリー」を今すぐ観に行くべき3つの理由

1 いつまで公開されているかわからない

いわゆるアート映画なのでいつまで上映されているか危うい。

 

2 「ブレードランナー2049」よりひどい

期待どおりにひどい。おそろしいファミリービデオなのだ。

父と子の和解を本人が講釈する前で、何番目かと何番目かの息子が、父と子の役で和解のシーンを演じるのだ。80代の本人、50代の息子が本人の父役、30代の息子が本人役としてメインで登場する。80代の本人は誰とも和解する気はさらさらない雰囲気である。

期待どおりの、幻想的なイメージもこれでもかと魅せられる。出色は魅惑の執事カフェ、カフェ・イリス。給仕がそろって老年の紳士。注文する前からビールジョッキが待ち構えている。舞台のようなシーン。舞台のような映像。

そして黒子。CGのかわりに黒子。

さらに書割。CGのかわりに書割。役者の等身大パネルもモブとして登場。

ラストは紫色の小舟で波間を漂う。唐十郎の芝居で名物屋台崩しと唐突な終幕を観て以来の衝撃。え、これで終わるのか。続くの?これからパリに行くの?

ホーリーマウンテン」や「サンタサングレ/聖なる血」といった前作の世界への期待にも十分に応えてくれる。まったくわけがわからないよ。

そのうちに主人公がナポレオン・ダイナマイト(「バス男ナポレオン・ダイナマイト)」の主人公)に見えてくる。リア充のはずなのに。まったくわけがわからないよ。

 

3 いいから服を着ろ

Fallout4では行商のおねーさんから装備を買う度に「服は着たままでいいわ」と囁かれるなぞがある。どうやら誤訳らしい。

「服は着たままで」お願いしたいのは、アレハンドロ君である。いいからおまえはもう脱ぐな。脱衣、脱衣、脱衣。感極まる度に、進行に詰まる度に、ともかく脱ぐ。前衛やアートは脱がないとはじまらないらしい。

差し当たり、修正はない。

 

 

 

「詩人になる」とパリへ船出する主人公の姿に、「プロブロガーになる」宣言とともに花火のごとくはてな界を照らして行った君たちのことを少し連想した。詩人はパリへ行く。ではプロブロガーは?目指すべき都市がないことがプロブロガーの不幸なのだ。代わりに詩人が成すべきことを余さず観られる映画がある。ただし、服は着たままで。脱ぐな。

 

映画『エンドレス・ポエトリー』公式サイト

高尚な解説は公式でどうぞ。

ならびたつふたつの塔、現存が知られるただ一対、当麻寺三重塔

「ふたつの塔」と聞くと、サウロンガンダルフを先に連想するものと決まっています。いませんか。そうですか。

當麻寺の表記も併用される、当麻寺。歴史的経緯からは「當麻寺」が適当なのだろうが、駅名などに合わせて「当麻寺」表記で進めることにしよう。行ってみるまで別モノだと思ってたからね。少数派だとは思うけどな。少数派にこそ配慮。

 

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当麻寺東塔

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当麻寺東塔

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当麻寺東塔

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当麻寺西塔

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当麻寺西塔

当麻寺のふたつの塔。古代寺院の伽藍配置(建物の構成)には四天王寺式とか法隆寺式とか、いろいろ分類されているなかで、塔がふたつ並ぶ形式が薬師寺式とされている。薬師寺は西塔が残念なことになったため、1980年代の再建であり、創建当初のふたつの塔は揃っていない。

しかし、当麻寺は創建当初のふたつの塔がそろって現存している。創建当初とはいえ、東塔が奈良時代、西塔が平安時代、ちょこっと時期がずれていると考えられている。やはり一度にふたつの塔を揃えて建てることは、古代の剛毅な経済活動のなかでも困難だったのだろう。

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当麻寺(左側が東塔、右が西塔)

せっかく残ったふたつの塔であるが、東塔と西塔を揃って眺めることができるポイントは限られている。建設当初は東西に塔が並び、南北方向の中心軸に沿って金堂と講堂が配置される伽藍であったようだが、現在はご覧のとおり、東西両塔の間も、塔と金堂の間もみっちりと建物で埋められている。写真では西塔の手前に電柱があるため、わかりづらい。金堂と講堂はちゃんと当初の位置に建物がある。鎌倉時代の再建らしい。

 

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当麻寺西塔

左側の建物が曼荼羅堂と呼ばれる本堂。奥に西塔がみえる。曼荼羅堂は改築を繰り返しており、基壇と亀腹から建物がはみだしている。有名な当麻曼荼羅に関してはWikipediaでも読んでいただくと、たいへん詳しい。

 

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当麻寺西塔

写真集などでも塔だけのよい写真が少ないことが不思議だったが、やはりというか、塔だけを撮影することは難しい状況。相輪まできれいに写すなら、このぐらい離れたところから撮影したい。西塔は痛んで危険と表示されており、あまり近づくことができなかった。

 

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当麻寺東塔

角の部分に斗が5つ乗った長い肘木が使われていることも、特徴のひとつとされる。

 

西塔と東塔の見分け方はとても簡単だ。東塔初重(一層目)は軒下に斗と肘木の組物だけが並んでいる。対して西塔は組物と組物の間に中備と呼ばれる束(間斗束)が配置されている。また、東塔の二重、三重は柱が三本並んでいる。西塔は三重まで柱が四本並んでいる。前掲の写真を見返していただくとわかりやすいだろう。

対となる塔でもデザインを揃えない様子や、境内の正面となる南側に参道ではなく山が位置するなど、由緒正しい伽藍配置を採用していながらなかなかに個性的ともいえる。

 

東塔の北側には中之坊が位置している。当麻寺中之坊。後西天皇行幸の折りに整備された茶室、と説明されている。ふんふん。江戸時代ですね。

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当麻寺中之坊書院と茶室

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当麻寺中之坊茶室「円窓席」

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当麻寺中之坊茶室

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当麻寺中之坊庭園

 茶室に懸かる額には「双塔庵」。奈良時代の塔を借景として江戸時代の庭園に取り込んでしまう力技。このあたりの話は2015年にたずねた当時に記事にしている。

waterway.hatenablog.jp

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他に面白かった建物など。

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当麻寺石灯籠

最古と伝えられる石灯籠。金堂の正面に位置している。覆屋の中に大事にかくまわれている。

 

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当麻寺内建物の蟇股

装飾が激しい蟇股(かえるまた)を撮影しているが、どの建物だったかわからない。石灯籠の近くで撮っている。

 

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当麻寺仁王門

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当麻寺仁王門

東大門とも呼ばれた仁王門。駅からの参道はこの門へ向かっている。天井が張ってあったり、木鼻があったり、奈良時代の建物ではないっぽい。

 

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当麻寺中之坊

中之坊は別に拝観料が必要。受付がある建物は、おそらく元は庫裏(くり・台所)だろう。

 

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当麻寺中之坊受付内カマド

当麻寺といえば陀羅尼助も知られている。現在でも用いられている止瀉薬とのことで、かつては当麻寺で製薬が行われていたというカマド。驚いたことに、陀羅尼助は醍醐寺の売店にも並んでいた。物を知らないから驚いているだけで、陀羅尼助分布からは不思議でもないらしい。

 

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当麻寺中之坊稲荷社

向拝に唐破風、さらに千鳥破風付の入母屋造と、これでもかと趣向を凝らして盛り盛りの稲荷社。装飾へのパッションなのか。

 

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当麻寺薬師堂

現在の境内から離れて薬師堂が位置している。元はこのあたりも境内だったのかもしれない。当麻寺の金堂や講堂と同じく、基壇(きだん・建物の下の基礎部分)が高い。

 

さて、当麻寺といえば中将姫の伝承とか、『死者の書』(折口信夫)であろう。『死者の書』は漫画(近藤ようこ)で読んだ。漫画のなかで当麻寺の遠景が描かれると、奈良時代の建物配置と照らして正しいかどうかが気になりはじめる。金堂と講堂は当時の位置から動いていないとして、現在の曼荼羅堂は規模が異なるはず。そもそも東西両塔が存在していたのだろうか。深く考えるのは止そう。

 

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当麻寺中将姫に関する解説

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当麻寺駅近くの中将堂「よもぎもち」

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中将堂「よもぎ餅」

当麻名物よもぎ餅を宿でいただく前に包みを写していた。1個から販売してもらえる。よもぎの入った餅を小豆餡でくるんだお菓子。餅がふわふわでおいしい。

 

ともかくも、当初の目的は、現存するふたつの塔を観ることだったのだ。

 

五重塔コレクションに三重塔が紛れる不測の事態の端緒が、パワースポットのご利益からか、室生寺から長谷寺へ向かったはずが当麻寺到着という経緯は前回ご紹介した。電車は行き先をよく見て、落ち着いて乗るべし。三重が一対で、屋根の数的には五重より多いから、まあいいや。

pool.hatenablog.jpついでなので、次も三重塔の薬師寺にしよう。薬師寺なら、裳階も足せば屋根が六層かかっている。五重より屋根は十分に多い。大丈夫だろう。

 

SFはディックを神として葬ろうとしたのか

男女の双子のモチーフで締めくくられた映画「ブレードランナー2049」。最後の5分ほどで、奇跡の顕現たる「こども」の存在を物語の中で慎重に隠したように、映画「ブレードランナー」の続編として提示されてはいるが、別の物語の映画化であることを巧妙に隠しているのかもしれないと感じた。

「こども」が前作「ブレードランナー」の回答だとする解説も多い。その解釈も成立つだろう。

しかし、全てが幻影で確かな現実など手にしたことがなかったと、あれほど「K」を打ちのめしておいて、映画だけは強固に「ブレードランナー」だと信じてよいのだろうか。観客もまた、「ブレードランナー」を観てなどいないのではないか。

前作の監督のコメントにも注意しておきたい。「もう、たくさんだ」というのだ。雨に塗れた路地裏も、けばけばしいネオンサインも。SFは「ブレードランナー」に汚染されきっているし、未来はシド・ミードが描く姿が最適解だと疑われず、ディックは新しい世界をSFにもたらしてはくれたけれど、この閉塞感は何だろう。

というのも、映画冒頭を期待せずに眺めている間、頭から離れなかったものはゲーム「Fallout4」の画面だったからなのだ*1。夥しいスクラップも、雨に濡れた未来も、廃墟も、もうゲーム画面にしか見えなくなってくる。孤児院の入口に転がるオイル缶など、「取る」の表示を探してしまうような配置だったではないか。

ウォレスとデッカードの対面において、レイチェルとの出会いも仕組まれたものかもしれないと揺さぶりをかけられていた。いくつかのシーンで、画面のなかの主人公が、観客によって操作される対象であることを連想させられるのだ。全てが何かによって操作された結果、というモチーフも各評論の指摘どおりディックの作品に散見される。

観客、つまり自分も「ブレードランナー」を主体的に観に来ているはずなのだが、これは「ブレードランナー」ではなく、観客もまた操作されて映画に「出会って」いるとしたら*2

そして最後の5分がやってくる。観客も、奇跡に立ち会うことになる。Kと奇跡のこどもは記憶の双子として描かれる*3

いかにも前作の回答のように、新しい時代への期待のようであるが、何も救いは描かれていない。解決はしていないのだ。ディックの作品のほとんどすべてが、何も解決せずに終わる。そして、続編を作るならば可能となる様々な、意図的にあけられた「孔」。

現在のSF的イメージの源泉となったディック。「ブレードランナー」によって映像としてのSFにとっても神に等しい存在になったディック。だが、いずれ映画界は新しい神を必要とする。

特に強く連想させられた作品は、最晩年の「ヴァリス」三部作である。どのモチーフが対応しているか、具体的な検証はこれから読み直してみてからとなるが、「聖なる侵入」はかなり直接的な下敷きではないかと考えている。共通するモチーフは神秘体験からの神の再生*4

そんなことを考えながら、詳しいわけでもないので、誰か詳しい人が「ヴァリス」三部作との関連を何か論じて解説してくれないものかと、あくまで人の力をあてにするために記事にしてみた。

 

ブレードランナー」を観に行ったが、「ブレードランナー」ではなかったのだろうとは思う。分散されたP.K.ディックを探す映画なのかもしれない。

 

今週のお題「芸術の秋」

新訳が出た、といっても『ティモシーアーチャーの転生』が2015年。まったく視界に入っていない。旧訳の『ヴァリス』は創元文庫版だったことも今更確認した。せっかくなので新訳版で読み直してみたい。

*1:「Fallout4」だけが類似であるわけではなく、単に他のゲームを知らないから挙げている

*2:「電脳寅さん」こと「イノセンス」がまんま映像でこれを表現している。予算的な問題からの解決らしいが、解像度や色調の異なるループ画像で見事だった。

*3:データセンターでのDNA記録が一致する男女の存在が伏線といえば伏線だった。

*4:ざっくりしすぎている。Wikipediaはとても詳しい。

パワースポットが呼んでいる、室生寺五重塔。

女人高野と称される室生寺高野山へは女人禁制の時代に、高野山の代わりに女性が参詣する先とされた室生寺。その室生寺にも五重塔

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室生寺五重塔

これまでに紹介してきた五重塔群と比較して、華奢で小さい。圧倒的に小さい。近年、台風の影響で大きく損壊したが、美しく修復された姿である。

 

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室生寺五重塔

さらに、塔の本体部分、相輪の形をよく見ていただきたい。独特の形状であることが知られている。

 

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室生寺五重塔

奥の院へ続く山道から振り返ると五重塔五重塔はもう堪能したから、室生寺の他の話を続けよう。

 

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天然記念物室生山暖地性羊歯群落

道の先には「落石注意」「マムシに注意」と賑々しい一角が現れる。「天然記念物室生山暖地性羊歯群落」の石碑まで並んでいる。なにこれ。

 

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天然記念物室生山暖地性シダ群落の看板

看板の説明によれば、暖地性羊歯(シダ)の北限群落らしい。奈良山中が北限とか、シダ、よわい。

 

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天然記念物室生山暖地性シダ群落

看板の近くに群生しているシダが、その暖地性シダだろうか。シダだね。うん。

 

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室生寺奥の院御影堂

奥の院には盛大な懸造の建物と、御影堂、さらに御朱印を頂く窓口が位置している。というわけで、御朱印帳を抱えてパワースポット巡りをする方々はこの奥の院を目指すらしい。奥の院の御影堂もなかなか重要な建物なのである。屋根は板瓦葺、つまり木の板で葺かれている。

 

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室生寺仁王門

パワースポットが目的ではないから、あとは室生寺の建物を少しだけ紹介して締めよう。受付を過ぎた先には仁王門。

 

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室生寺金堂

平安時代の建築とされる金堂。前面の張り出し部分は後世の拡張。

 

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室生寺金堂

張り出し部分の妻側。太い虹梁と蟇股、というか板蟇股が目立つ。拡張部分との接合部では、屋根がかなり無理矢理に納められている。

 

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室生口大野駅ホームと電車

室生寺最寄りの近鉄室生口大野駅から電車に乗って、次は長谷寺へ行こうとしている。さて、写真の文字は潰れて読めないが、電車の行き先表示は「 急行大阪上本町」。察しのよい地元の方には、もうオチが読めただろう。

 

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当麻寺駅

 次に下車した先は当麻寺駅。関西の電車で何度も同じトラップにかかってきた。急行と各駅停車が同じホームに停車するワナ。長谷寺駅は各駅停車しか停まらない。

 

パワースポットとか、何も影響ない。それとも、パワースポットの影響で当麻寺へ到着したのか。当麻寺にも塔はある。次回は当麻寺の塔にしよう。三重塔だがな。

 

 

今週のお題「休日の過ごし方」

パワースポット巡りも定着したブームなのか。神社仏閣に数人グループの女子を発見すると、そこはパワースポットとして紹介されていることが多い。女子力はパワースポットを巡る脚力と比例する仮説。

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室生龍穴神社の案内板

室生寺近くの龍穴神社が特に知られたパワースポットらしい。室生寺からはちょっと離れた場所にある。境内の案内板によれば神社からさらに歩いて移動しなくてはならない位置に龍穴があるらしい。パワースポットのパワーは龍穴がすごいらしい。

らしい、らしいばかりなのは、パワースポット情報は事前に何も調べていないから。近くまで行きながら全くスルーも珍しくない。

しかし、偶然にして五重塔とパワースポットがかぶると、まるでパワースポット巡りをしているように見えるかもしれない。おまけに行く先々で駅と電車も記録しておく。まるで「鉄」のように見えるかもしれない。

神社仏閣の建物を観るために休日を充てているはずが、「鉄」であるとかパワースポット巡りという別の休日の過ごし方にも変換可能ということか。「鉄」は論外としてパワースポット巡りはウケが良さそうだ。これからは休日の過ごし方を問われたらパワースポット巡りだと答えることにしよう。

 

塔のなかの塔、五重塔といえば五重塔、法隆寺五重塔

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法隆寺五重塔

五重塔といえば、法隆寺五重塔。正面からどーん。しかし、この写真では塔の本体は見切れている。

 

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法隆寺五重塔

正しくはこちら。ただし背面だが。何が違うかといえば、上の「相輪(そうりん)」が見切れていない。塔の本体はこの相輪と、相輪の下の心柱、心礎(心柱の礎石)、それと仏舎利

建物っぽい部分は全て飾りなのだ。ジオングは正しかった。

屋根を数えると一段多い。一番下の屋根は、瓦葺ではなく板。この部分は「裳階(もこし)」と呼ばれて建物本体ではないとされる部分。初重の壁の周囲をカバーしてるような状態。正しい屋根は、きちんと五重だ。

 

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法隆寺西院伽藍・大講堂

回廊の内には、もう一棟、平安時代の建築として知られる大講堂。創建当時から、現在の大講堂の位置に建物は存在したらしい。ただし、回廊の外として。現在は大講堂周辺で回廊が屈曲している。やはり平安時代に現状に変更されたらしい。おかげで大講堂側からは金堂と五重塔を並べてきちんと写真に納められる。

 

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法隆寺西院伽藍・金堂と五重塔

左に金堂、右に五重塔、となるこの配置の写真が多いが、現地へゆくとこちらのほうが撮影しやすいからだろうなと思う。背景に中門がみえるとおり、本来は逆が正面なのだろう。しかし中門からの距離がそれほどないため、写真が撮り難い。

 

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法隆寺西院伽藍・五重塔と金堂

中門側から、超広角で撮るとこんな感じ。正面は左に五重塔、右に金堂。写真左端にちらっと写っている部分は中門の屋根。

 

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法隆寺西院伽藍

中門の外側から、左に五重塔が見える。

 

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法隆寺西院伽藍・妻室

回廊の外になるが、気になる建物。僧房に付属する「妻室」。小部屋が並ぶ長屋。隣接する東室の付属施設なのだろうが、この規模では用途が気になる。

 

五重塔のエリアは西院伽藍、夢殿などのエリアは東院伽藍として区別されている。ということで、東院伽藍へ移ろう。

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法隆寺東院伽藍・絵殿と舎利殿

夢殿などが含まれる東院伽藍は、西院伽藍の東に離れている。東院伽藍の絵殿と舎利殿。この建物の西側に、奈良時代としては貴重とされる建物がある。

 

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法隆寺東院伽藍・伝法堂

奈良時代の住宅の数少ない遺構とされる伝法堂。奈良時代の住宅を移築した後、仏堂に改修した建物と考えられている。妻側には奈良時代を代表する構造「二重虹梁蟇股(にじゅうこうりょうかえるまた)」がみられる。虹梁(虹的に湾曲した梁)が二重になっていて、蟇股で積んである、それだけのことだが、「二重虹梁蟇股」と書くとつよそう。

 

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奈良県庁舎

奈良でつよそうな建物といえば、奈良公園へ行く度に気になる奈良県庁舎。1965年の建築らしい。

 

casabrutus.com現代建築としての紹介はCasa Brutusのサイトにあった。まあ、気になるよね。

 

 

今週のお題「私の癒やし」

この流れでこのお題なのだが、古い建築を眺めて癒されたりはしないな。情報量が多過ぎて疲れる。法隆寺五重塔とか、もう、理解に苦しむ要素だらけよ。

そこへ1500年分のなんだかんだが積み重なっている。読み取ろうとすれば癒される余裕はないと思うんだが、古刹では何が癒しとなるのだろう。美しいと感じる心は1500年前と変わらないと思いたいが、何も無いところへポンとこの建物が現れた衝撃は想像するしかない。

とかぼんやり考えていたが、上淀廃寺であるとか、正家廃寺のような遺構も存在していたということで、法隆寺西院伽藍にも残っていない仲間がたくさん存在していたけれども、なんだかんだで虚空からポンと現れたような残り方をしているだけなのかもしれない。