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「ハイツ神田川」はいかにして繁栄し、衰退し、そして甦ったか。その1

1970年代の若いふたりが暮らした「ハイツ神田川」。歌われた時代から、シェアハウスが注目を浴びる現代までを、ざっとながめてみたいと思います。

なお、「ハイツ神田川」はフィクションであり、実在するいかなる住居や人物とも無関係です。ソースとなる事例はありますが、フィクションです。

 

さて、都市部の単身者が暮らす「三畳一間の小さな下宿」が普及したころ、「ハイツ神田川」は最先端のオシャレなアパートであったはずです。おそらくは1960年代、ぼつぼつと「間借り」から専業の「下宿」が普及したものでしょう。

もちろん、夏目漱石の時代から「下宿」という形態の住居は存在していました。しかし、明治時代の小説中の描写からは間借りと見るべき、賄付きの寮に近い状態のようです。あるいは個建て住宅の一室を貸す、離れを貸すといった形態でしょうか。個室だけが並ぶアパートとは異なる状態であったものでしょう。

「ハイツ神田川」以前は別の話になるので、ここでは「ハイツ神田川」以降に話を戻します。

戦後の高度成長期に供給された最先端の「ハイツ神田川」でしたが、しかし、歌に歌われたころには「小さな下宿」と表現されていますから、既にいまひとつイケてないうらぶれた存在であったようです。

それでは1970年代にイケていた最先端のアパートとは何か。華々しく登場したのが「四畳半」でした。

 

つづく

この項目は来週月曜日の朝、更新予定です。