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ものすごい杭は残ったがよく倒れた建物のはなし

今から千年以上昔のはなしです。日本のすばらしい建築技術は高さ40mを超える高層建築を実現していました。当然ながら、ものすごい杭が使われました。杭の痕跡は発掘されて、現在でもその姿を見る事ができます。

すごいでしょう。出雲大社のことです。平安時代から「雲太、和二、京三」と伝えられていることが知られています。太郎、二郎、三郎の順に、巨大な建物を賞賛する口伝だそうです。「雲太」が出雲大社を指す、ということで、その当時は出雲大社が日本でいちばん巨大な建物だったということです。

え、今そんなの残ってないじゃん。そりゃそうです。建つことは建っていましたが、台風がやってきて倒れました。再建されましたが、また倒れます。何度か繰り返して、江戸時代にまあ現実的なサイズで再建された建物が現存しています。一瞬だけでも建った瞬間を目撃したひとがいればすっげえすっげえと触れて回りますから記録に残るわけです。そもそも論でゆくと、社殿はテンポラリーな存在であって問題はないのです。伊勢神宮をはじめとして式年遷宮を行い定期的に建替えるシステムが有名です。

世界最古の木造建築を現存させてきた日本の文化ですが、一方では建てられる限りを目指す建物の文化も脈々と受け継がれています。本能寺の変の後、何故か全焼したという安土城天守なども…おや、誰か来たようです。

それはともかく、古代の出雲大社を支えた技術は掘立柱と呼ばれる方式です。木の柱をそのまま地面に埋めて支えます。縄文時代弥生時代の建物と共通する方式です。地面に埋まっている柱はいずれ腐ります。だから、柱の根元が腐ったら建替えです。

新しい技術として伝わってきたのが礎石を用いる方法でした。地面の上に石の台を置いて、柱を乗せる方法です。これなら地面と木製の柱が直接触れないので、柱が長持ちします。法隆寺西院伽藍の建物には当然ながら礎石が用いられています。

礎石を用いることで木造の建物が長く維持できるようにはなりましたが、堀立柱に比較すると柱がしっかり押さえられていない状態になります。建物自体をしっかり作る必要がありますから複雑になりますし、コストが高くなります。新しい技術も普及しましたが、堀立柱は簡単にコストを低く規模の大きい建物を建てることができる技術として、長く用いられました。江戸時代以降も、重要ではない建物には大名屋敷のなかでも用いられていたようです。

堀立柱で建てる建物は一瞬のインパクト重視かコスト重視で、いずれにしても長期運用が前提ではなかった、という歴史が考えられます。

では、現代の杭打ち工法の杭は何だというわけですが、機能から判断すると堀立柱兼地盤改良の杭ということになります。低湿地の開発に伴い地盤改良の目的で杭を密集して打ち込む工法は、これまた古代から事例が知られています。古い方では多賀城、やや新しいほうでは松本城などから、大量の木杭が報告されています。つまり、最新の鉄筋コンクリート製建築は古代とそう違わない方法で建っているということになります。もちろん材質が違うので強度は違います。

出雲大社の境内には、発掘された巨大な杭の痕跡を示す表示があります。三本の巨木を金属製のベルトで締めた図です。直径約3mにもなります。これだけの技術がありながら、それでも何度も倒れたと伝えられているわけです。

軟弱地盤に都市を展開しはじめたのはせいぜいここ4世紀ほどのことです。世界一厳しいといわれる日本の建築基準ですが、前提となる条件がそもそもハードなのではないかと思うのです。