醍醐寺の五重塔は屈強
醍醐寺はそういえば行っていなかったと気がついて、行ってみたときの五重塔。やたら広い境内を巡った大徳寺や知恩院の記憶と混ざって行ったことがあるような気がしていた。気がしていただけだった。
応仁の乱で周辺伽藍は全焼したが、平安時代創建当時の姿と伝えられる恐ろしくタフな五重塔。本体である塔上部の相輪の占める割合が大きく、よけいに屈強に見える。内部は曼荼羅の世界で彩られているらしいが、拝観はできなかった。
斜めから撮った五重塔。軒下の組物や支輪天井がもりもりと賑やかだ。後世の塔などと比較すると部材が太いにもかかわらずみちみちと詰まっている印象。優雅というよりは、やはり強そうなのだ。平安時代の建物は、平等院鳳凰堂もやはり強そうだ。
五重塔はこのぐらいにして、醍醐寺の境内もちょっと回ってみよう。
醍醐寺といえば豊臣秀吉の「醍醐の花見」。秀吉の時代に主に整備された三宝院は書院造の初期の姿として知られる。その、三宝院への正式な門、唐門。だが、なんか違うと思うだろう。唐門といえば、正面に唐破風があるはずなのに。
唐門の唐破風は正面の平側に位置することが多いが、この門のように側面の妻側に唐破風があるタイプの唐門らしい。2011年に解体修理が完了したばかりで、ぴっかぴかなのだ。
三宝院の大玄関から庭へ向かうと、正面に先の唐門が見える。仰々しい装飾で察していただくとおり、それなりの方しか唐門からは出入りできないはず。唐門から入った正面がこの縁。
唐門の正面には唐破風。それなりの方はここから出入りしたのだろうか。境内案内図には大玄関と表記されている建物なので、この棟が全部玄関。まあ、そういうものだ。
表書院の先にちらっと見える建物が純浄観。純浄観は公開されていなかった。解説の方の説明によれば、豊臣秀吉の醍醐の花見に際して、純浄観と同じ建物が八棟建てられたうちの一棟を、現在の場所へ移築したものが伝わったとされるとのこと。花見の宴のためだけに、八棟揃いの建物を並べる趣向。なんという贅沢。とんでもないですね。
一方、現代の我々のためにはカフェ。
霊宝館エリアの入口横に「カフェ・スゥ・ル・スリジエ」が。内部はイケアの家具でコーディネートされたモダンなカフェ。午前中の早い時間だったせいか、たまたま先客がいなかった。お茶を飲んでいるあいだにぞくぞくと店内が埋まっていた。店内で使用されているカップやグラスもイケアの製品らしい。
もう一ヶ所、駐車場の近くに雨月茶屋という飲食施設があるが、こちらは食事がメインのようだった。帰りのバスを待つ間、ちょっとお茶と休憩という場合はカフェも便利だ。ただ、醍醐寺の公式サイトにはカフェの情報がみあたらない。恒久的な施設ではないのかもしれない。
上醍醐にはさらに技巧をこらした建物群が控えているが、このときは下醍醐(五重塔や三宝院があるエリア)を回るだけで精一杯だった。
荷物になるためあきらめた『漫画 聖宝物語』。醍醐寺開祖、理源大師聖宝の公式漫画を、ぜひとも入手したい。三宝院入口の売店でちらっと見ただけだが、これは気になる。
なんとか十分な時間を見繕って再訪したい。
今週のお題「行ってみたい場所」