ひかりさすこの世の果て、浄土寺浄土堂へ。

青春18きっぷの旅2017年は兵庫県小野市を目指すことにした。そこに何があるかといえば、大仏様(だいぶつよう)を代表する建築、浄土寺浄土堂がある。

 

全ての道はイオンに通ず

浄土寺浄土堂をたずねるにあたって、先ずは交通手段の確保。検索してもアクセスの厳しさを挙げる記事や、結果として自家用車やタクシー利用の記事ばかりであまり参考にならなかった。公共交通機関利用でクリアしたからには、なんかしら記録しておこう。

幸いなことに、コミュニティバスが運行している。必須情報のコミュニティバス「らんらんバス」時刻表と路線図はこちらから。

www.city.ono.hyogo.jp

北播磨総合医療センター、電鉄小野駅、そしてイオンがコミュニティバスの路線を統べている様が見て取れる。病院とJRへの接続と並んで重視されるイオン。

電鉄小野駅神戸電鉄粟生(あお)線の駅で、JRとは粟生で接続しているため、粟生までは青春18きっぷが利用できる。ここから先が問題で、コミュニティバスのバス停「浄土寺」を経由する午前中のバスは、電鉄小野駅発7時台の一本。いやいや、前日の宿からは無理だ。別ルートで歩くか、電鉄小野駅から徒歩40分をがんばるか、暗い気持ちになるが路線図にはイオンがある。

イオンを経由すれば、適当な時間に移動できるのではないか。料金は乗り換え分必要になるとはいえ、レンタカーやタクシーをチャーターすることを考えれば問題にならない。しばらく時刻表と睨み合い、どうやらイオン営業時間内にイオンで接続するバスを見つけることができた。30分ほどイオンで待機することになる。

 

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JR加古川線の電車。

イオンまではJR加古川線「市場」駅からのバスに乗る*1

数人がぱらぱら乗降する小さな駅で降り、何も無い駅前でバスを待つ。本当にバスは来るのか。

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JR加古川線市場駅東口のバス停。

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市場駅東口待合室。木造の瀟洒な駅舎。

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市場駅からのらんらんバス。イオンで降りた後に写真を撮っている。

そしてやってきたバスはワゴン車的なバスだった。バスと主張しているから、バスなのだ。イオンが近づくにつれ、それなりに乗客がある。「最寄り駅から徒歩40分(推定実質60分以上)」炎天下この世の果て行軍を避けられるのは、イオンのおかげ。料金は100円(乗車1回ごと、2017年9月現在)と、なんだか申し訳なくなる金額。

公共交通機関の利便性に関して、国宝よりイオンの存在がカギを握るあたり、イオンの存在意義について考えさせられる。イオンすごい。しかし、イオンの建築は後世に残らないであろう。未来の歴史はイオンを正しく評価できるのだろうか。まあ、知らんがな。

 

浄土まであと何マイル?

イオンでパンなど適当な朝食をとりつつ、乗り継ぎのバスを待つ。派手な外観のバスにひるむが、この派手さはかなり重要だ。乗り過ごすとたいへんなことになるが、これだけ派手なデザインであればバス停で待つ際に見落としにくい。

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「らんらんバス」。デザインは数種類あるらしい。

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バスの車窓に広がり続ける田園風景。

バスはひたすら緑の木々と緑の水田のあいだを進む。知らない道を、知らない風景のなかをひたすら運ばれてゆく。ほぼ貸切。本当はどこへ向かっているのだろう。西方浄土へのお迎えもこんなものかもしれない。

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「国宝極楽山浄土寺」看板が目立つ。

いよいよ、到着。それなりに参拝客がおとずれるためか、客待ちのタクシーもやってくる。奥の屋根が浄土堂。右側の施設にトイレと自動販売機、それと休業中だったが喫茶か食堂のような場所があったらしい。

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浄土寺」バス停を後にする「らんらんバス」。

バスが去って行くと、取り残された気がしてくる。帰りのバスの時間を忘れないようにしないと。帰りは、通る自動車もまばらな、何も無いアスファルトのフチでバスを待つことになったわけだが、陽炎の向こうにド派手なバスが見えたときの安堵感ときたらたいへんなものだった。来たぜ、らんらんバス、見間違えようがない。

 

見ろ、これが浄土だ

堂内の解説図に詳しいが、自然光を駆使した光の魔術により、天井から阿弥陀三尊像に光が降り注ぐ設計とされる。実際に午前中から午後まで堂内を何度か出入りしたが、刻々と移り変わる光の加減に幻惑される空間なのだ。ほぼ正方形平面のお堂は、阿弥陀三尊像を絶妙な光源であたかも浄土から来迎するかのように魅せるためだけに設計されている、と言っても過言ではなかろう。

受付の方のお話では、夏至の頃の太陽の角度が効果的とのこと。できれば夏に、もっとも暑い時期にたずねると浄土が見えるらしい。なお、堂内は撮影禁止。12時から13時は昼休みのようで、堂内見学は休止。

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浄土寺浄土堂・光の魔術解説図(模写)

記憶を頼りに描いてみた、堂内光の魔術の解説図(いずれ差換えるかもしれない)。浄土堂背面から光が射し込み、金雲に乗った阿弥陀如来像と両脇侍像の背面の床に反射して天井へ光が廻り、さらに像の正面側から射す光となる、と説明された。太陽の動きに従い、光は刻々と変化する。

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浄土寺浄土堂。蔀戸が並ぶ背面。

実際の背面には、ずらっと蔀戸(しとみど)が並んでいる。ここから光を取り込む設計。

 

浄土寺浄土堂とは何か

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浄土寺浄土堂。

そのような経緯で到達した浄土寺浄土堂の外観。超高コストな写真である。写真なんてシャッター押すだけとか、とんでもない。シャッター押すまでが本番だということがおわかりいただけるだろうか。なお、正面からのしっかりした写真が写真集などで紹介される際にも見かけないと思ったら、案の定、超広角レンズを用いないかぎり引きが取れない配置だった。こういうことはよくある。

全面の扉の彩色がはげはげしい。昭和33(1958)年に解体修理された直後の写真では朱色に輝いていた。ざっと60年近く風雨にさらされた結果のようだ。

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超広角レンズで撮影した浄土寺浄土堂正面。補正している。

例の超広角お手軽レンズ(オリンパス・フィッシュアイボディキャップレンズBCL-0980)で撮影し、Photoshopで補正した浄土寺浄土堂正面のイケてる写真。上の写真と比較するとレンズ性能の違いが出過ぎてつらいが、雰囲気は伝わるだろうか。

浄土寺浄土堂は「大仏様(だいぶつよう)」の様式名称が示すとおり、奈良東大寺大仏殿との密接な関係が知られる。戦火に包まれた南都奈良で、東大寺大仏殿は灰燼と帰した。再建総合プロデューサーとしての活躍が知られる重源(ちょうげん)は、東大寺播磨別所であった浄土寺一帯で資材調達を行ったとされる。背景として、当時の京都や奈良ではもう桧の良材が枯渇しつつあったからだろうと考えられている。

東大寺大仏殿再建に際して採用された革新的な技術が「大仏様(だいぶつよう)」と呼ばれる特徴を備えた様式であった。現在の奈良東大寺大仏殿は江戸時代の再建であり、技術的な面影はあれど鎌倉時代の様式ではない。浄土寺浄土堂は、東大寺南大門と並ぶ「大仏様」の建築としては数少ない現存事例として知られる。

難しい話はともかく、当時の福建省周辺で用いられていた技術じゃないかと考えられている新しい技術「大仏様」は、後の時代の建築に多大な影響を残したとされる。細かい説明をさらに端折ると、大仏殿のような巨大な空間を建設する場合に材料もコストも節約できる優れた手法であったようだ。トランジスタラジオのようなものなのだ。

浄土寺浄土堂は、技術的にはトランジスタラジオのプロトタイプ実機が稼働しているようなものだ。しかも、当時最新流行のVR空間を、恐ろしいことに、ほぼそのまま体験できる。時空を超えて、当時の番組を録音ではなく、聴取できるようなもの、とは言い過ぎだろうか。

これがたった500円(2017年9月現在)、ワンコインで体験できるのだ。なんという贅沢だろう。

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浄土寺浄土堂の柱と組物。

細かい話も少し捕捉しておこう。上の写真の組物(くみもの/軒を支えている持送り構造)を例とすると、柱の途中に差し込まれた部材「挿肘木(さしひじき)」が大仏様の特徴のひとつとされる。柱に正しく位置を決めて臍(ほぞ)を開け、部材を組み立てるという手順を考えると、かなり難易度が高い技術であることを想像できると思う。*2

右側の格子戸は蔀戸(しとみど)。背面の採光部の説明でも示した。上半分を持ち上げて、左側の軒から下がっている金具に懸けて開ける建具。あちこちの寺院や、京都御所などで目にされたことがあるかもしれない。

軒の下に見える部材の端(木鼻)に装飾的な曲線を用いる手法も、大仏様の特徴とされる。また、軒の垂木(たるき)の端が板で覆われている様子も写っているが、これが「鼻隠板(はなかくしいた)」である。軒の垂木の末端を美しく並べることに腐心してきた経緯を投げやり、板で隠してしまえばいいじゃんとばかりの力強い解決だ。つよい。

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浄土寺浄土堂の屋根の軒裏。扇垂木と鼻隠板が大仏様の特徴。

垂木が扇状に開く配置も大仏様の特徴のひとつとされる。しかもこの扇垂木、軒先でのピッチを揃えるために小癪なまでの工夫がこらされている。そこまでやるか、と唸ってしまった。堂内撮影禁止のため、具体的に示すことが難しいが、隅の垂木ピッチを維持するために、その部分だけ別の垂木を途中から加えている。文字で表現しようとするともどかしい。ざっくり組まれた部材のなかに、そんな妙に繊細な部分が認められると、ギャップに驚かされる。

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浄土寺浄土堂の解説板。

浄土寺浄土堂正面に配置されている解説板。建築年代など、詳しい説明がある。ただし「大仏様」のかわりに「天竺様(てんじくよう)」の様式名称が用いられている点は注意していただきたい。かつては「大仏様」を「天竺様」と称していた名残である。なぜ「天竺」なのかといえば、他に組物の様式として「和様(わよう)」「唐様(からよう)」があり、それぞれ日本、中国を指すことから三国セットで「天竺様」と名付けられたらしい。伝統的な「三国」とは中国(唐)、インド(天竺)、日本を指すそうだ。

ともかく、様式はインド(天竺)関係ないやん、ということで現在は実態に即して、それぞれ「和様」「大仏様」「禅宗様」の名称が用いられている*3

初見では、もちろん「てんじくさま」だの「だいぶつさま」だのと読んでいたので、ちゃんとふりがなを加えておいた。

などといった蘊蓄はともかく、天井がなく太い構造材がそのまま意匠となっている内部空間と、光を操る魔術に感嘆すべきなのである。文化財としての価値や、歴史的な価値の理解は後回しにしても、ともかく体感すべきなのだ。

 

次はどこへ行こうか

体感できる日本三大浄土(私選)をコンプリートしたからには、次の目標を定めなくてはならない。物理的アクセスが難しい三大難攻不落物件(私選)も、浄土寺浄土堂をたずねたことで、あと一ヶ所を残すのみなのである。

なんといっても、難攻不落ぶりが突出した存在として高名を馳せる「三仏寺投入堂」が未踏なのだ。近年は単独行は許されず、入山口で同行者を求めるか、2人以上で向かうほかないらしい。数年前に鳥取まで行きながら、日程を確保できずあきらめた「三仏寺投入堂」。次こそは三大難攻不落物件(私選)のコンプを目指したい。

三大(中略)(私選)というからには、あと一ヶ所はどこか。「佐敷ようどれ」を挙げておきたい*4

異論は認める。

 

今週のお題はてなブログ フォトコンテスト 2017夏

*1:当初、市場駅神戸電鉄の駅と勘違いして記事をアップしていた。こっそり修正。結局、神戸電鉄には乗っていない。

*2:「挿肘木」の端に乗っている部材が「斗(ます)」で、大仏様以前から「斗」と「肘木」で軒を支えてきたシステムが組物である。

*3:それぞれの代表例としては「和様」が平等院鳳凰堂、「大仏様」が浄土寺浄土堂、「禅宗様」が円覚寺舎利殿、と紹介されることが多い。

*4:アクセスが難しい理由は、また別の機会に紹介したい。