あなたは、もう、忘れたかしら、ブラック・ルーム・シェアの時代
今週のお題「さむい」
『神田川』というヒット曲をご存知でしょうか。「南こうせつとかぐや姫」が歌った1973(昭和48)年発売の大ヒット曲、だそうです。
耳にした当時、既にこの歌は懐かしのメロディとして紹介されるほどに古びていました。おとな達が感慨を込めて歌う様子を眺めながら、おとなは何と苦しい暮らしを送るのか、赤い印の蛇口をひねればあたたかいお湯が出るし、あたたかいおいしい給食をいただく毎日を奪われてしまうなんて、さむさに震えるおそろしい暮らしが強く印象に残った歌でした。
特に銭湯の外で寒いなか待たされる描写がイヤでした。聴いているだけでさむい。
寒いので銭湯やスーパー銭湯を巡る旅に出ることが増え、ちらっとこの歌を思い出したのです。具体的にどんな暮らしだろうと気になったので、歌詞に従い「ハイツ神田川」の推定再現図を作製してみました。
「三畳一間の小さな下宿」
ここにおとな2人、どうみてもブラック・ルーム・シェアです。起きて半畳、寝て一畳、それは確かにそうですが、この2人は学生さんでしょうか。どこで勉強するのでしょう。課題の多い専攻ではないらしいです。
「赤い手ぬぐいマフラーにして、いつもわたしが待たされた、小さな石けんカタカタ鳴った」
こんな暮らしはイヤだランキング一位、冬の風呂上がりに寒風に曝される刑、このおんなのひとはどんな悪いことをしたのかしら、ガクブルです。銭湯、スーパー銭湯、スパ・リゾート、広い風呂はいいですね。でも、石けんは備え付けのボディーソープでしょう。
「二十四色のクレパス買って、あなたが描いたわたしの似顔絵、いつもちっとも似てないの」
この歌のなかで最も、何を贅沢ぬかしてんだよゴラッという気持ちでいっぱいになる場面です。
さむさに震えて暮らしたであろう、そんな下宿はどんな間取りだったのか。推定復元図を作製してみました。カタカタ石けん片手に銭湯通いですから、風呂はなし。トイレ、台所、玄関は共用でしょう。押入ぐらいはあるんじゃないかな、むしろ一間幅の押入があるとうまく納まる感じね。 押入も上下段の片側しか使えない造りとか、ドアを開けたらすぐ畳とか、もっと節約系の間取りも有り得ます。
一部屋の間取りはこんなふうでしょうか。
ずらっと共用廊下にドアが並んでいるんだと思います。
部屋はこんなふうですかね。押入の襖は取り外した状態です。外に面して窓、共用廊下側にも高い位置に窓がありそうです。めんどうになったので廊下の片側にしか部屋が並べてありませんが、もしかすると廊下をはさんで両側に部屋が並んでいるかもしれません。
おや、意外にこのシェアハウスの仕様は現代にもいいのではないかという気がしてきます。シェアハウスの個室面積はこのぐらいじゃないのかな。床を畳じゃなくてフローリングにして、ベッドを据え付けて、押入は無印良品の家具なんか置いてしまえば、最先端のオシャレ・シェアハウス、建築の雑誌で紹介されそうです。
しかし、ここでルームシェアはねーよ。
昭和40年代ごろ建築された下宿はまだ現存している建物もあるので、いつか系統的に調べたいなーとは思っていますが、なかなか機会がつくれていないです。ぼつぼつ、記憶を頼って再現図を作ってみるのも面白いかもしれないなーと思いました。
暗黒シェアハウス「ハイツ神田川」が完成したら、また記事にするかもしれません。