読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

今こそ時代は室町、「三世代同居」の真意は中世の再評価だ

さまざまな事象との関係 今週のお題 幻のコーポ大奥 幻のメゾン僧房

f:id:Galaxy42:20151016235746j:plain

今週のお題「行ってみたい時代」

床の間や座敷など、現在の和室の原型が成立したのは室町時代ごろとされています。豪奢な近世城郭も、元をたどれば室町時代の建築から発達したと考えられています。御伽草子などのむかしばなしの原型が集約されたのも、例の三太郎が活躍したのも室町時代あたりとされています。

 

先日はとうとう「三世代同居」が推進されるというニュースも流れました。住宅政策の面でも中世が指向されていることがはっきりしたようです。三世代同居で介護や育児の問題が解消できるのかもしれませんが、そんなことよりリソースの集約と社会体制の再編成に最適な手段が「同居」の拡大です。要するにハウスシェアリングを取りかかりやすいところから推進するということではないでしょうか。

 

例として挙げた「美作国漆時国館」は鎌倉時代末期に描かれたとされる地方豪族の館です。世代間の同居どころか、独立した住宅を所持するなんてことは豪族のトップぐらいにしか許されていません。許されないというか、建設コストが個人の資産形成にみあわないのです、従って、社畜に相当する家来たちは間借りしています。太刀や弓が備えられているので、ホームセキュリティも兼ねて居ます。厩(うまや)に寝転んでいるのは馬の世話もする下働きかもしれません。暖かい布団で休んでいるのは館の主人夫妻だけです。

ここには示しませんでしたが館の敷地内には台所や倉庫に相当する建物もあるようですから、女性たちはそちらで休んでいるかもしれません。洗濯機も炊飯器もありませんから、人手はいくらあっても足りないでしょう。平安時代までは竪穴でよければ庶民であっても戸建も夢じゃなかったようなのですが、鎌倉時代を経て一気に世知辛い時代になったようです。他の絵画史料には邸宅や寺院の軒下で夜を過ごすひとびとが描かれていたりしますから、雨露をしのぐことができるだけマシという状態だったようです。

建設コストをまかなうことができる経済基盤のもとに寄り添って暮らす。これが衰退する地方での生き残り戦術になるということなのでしょう。いずれ生産力が回復したら同居を徐々に解消してゆくこともできるかもしれません。それぞれの経済基盤集団が発達してゆくと、戦国時代の再来ですね。戦功はなはだしい際に所領、つまり財産が与えられますから、ようやく戸建住居が得られるわけです。

 

では同居の網から漏れた人はどうなったのか、というセーフティネットに相当していたのが住宅の面では宗教と後宮であったと考えてよさそうです。

具体的には僧房と大奥です。後宮は、もちろん中世段階では「大奥」とは呼びません。御所の女官たちが詰め込まれた空間は「対の屋」と呼ばれましたが、これも集合住宅でした。中世段階の平面を知る手掛りは限られているのですが、身分に応じてより個室に近い部屋が用いられるとはいえ、やはり集合住宅での同居です。しかも家電製品の機能のかわりに下働きの少女が配置されたりするので、相当な大所帯であったようです。洛中洛外図屏風などでは御所に巨大な対の屋が二棟ならんで描かれています。近世段階の大奥や大名屋敷の奥はもうちょっと史料があるので、またいずれ詳しく紹介したいと思います。

僧房は法隆寺薬師寺にも例がみられるとおり古代から発達していますが、中世寺院が山奥にひきこもる過程でシェアハウスのノウハウも蓄積されたようです。住居としての独立性は高めながら、食事や入浴など共有できる施設を充実させている様子は現代のケアハウスのようです。現存している状態が中世そのままではありませんが、古代末から整備された高野山の子院群などから雰囲気をとらえることはできそうです。中世末から近世にいたる僧房の様子は京都の禅宗寺院からうかがうことができるかもしれません。トイレも共用でしたが、有名な例として東福寺に東司(とうす)が現存しています。禅宗寺院の子院は塔頭(たっちゅう)と呼ばれる独立住居で、これを構えることができる立場の者(戦国大名などですが)が師と仰ぐ僧の周辺に弟子として集住する形態ですから、シリコンバレーのような弟子同士の私的交流によるビジネスチャンスも存在したかもしれません。僧房も簡単には説明しきれないので、機会をあらためたいと思います。

実は中世にシェアが進んだのは住宅だけではありません。当然のようにシェアオフィスも存在しました。一部の寺院が漢語の知識や留学経験者の存在から商社的な位置を占めていたらしいことがわかっていますが、境内をシェアオフィス的に運営していた寺院も知られています。史料が残されていることからよく知られているのは博多の聖福寺でしょう。近年の発掘調査から、豊後府内の万寿寺周辺にも発達していたようです。

 

そんなわけで、世代間同居の促進は、地方を再生するためにも一旦は減少する人口を集約して中世段階から新しい時代を生み出そうというアイディアの一端なのかもしれません。行ってみたいわけでもないのですが、つらつら住宅史を考えるとちょうど室町時代あたりが集合住宅を考えなおしてみるには面白そうな時代です。

 

なお、三世代同居は、まさに近世江戸の大名屋敷で運用されていました。藩主夫妻、若殿様夫妻とこども達というわかりやすい構成に加えて先代藩主夫人と現藩主の側室たちと側室のこども達がいくつかの屋敷に適当な塩梅で同居しています。これに女子寮の長局、男子寮の長屋、場合によっては上級家臣の戸建住宅が同じ敷地にひしめいています。いったいどうやってマネジメントされていたのか、という話もまた機会があれば。