共同住宅のルーツとしての「コーポ大奥」の展開、その1

今週のお題特別編「春を感じるとき」〈春のブログキャンペーン 第1週〉

1970年代から2000年代あたりの単身者向け共同住宅の変遷を駆け足で追いかけた「ハイツ神田川」シリーズでしたが、遠い先祖に位置する共同住宅といえば「コーポ大奥」でしょう。華やかな女子が集うとして知られる「大奥」ですから、春にふさわしい場所といえます。

 

江戸城大奥が有名ですが、各大名屋敷にも「奥」と呼ばれる空間に共同住宅が存在したことが知られていますし、京都御所にも中世以来「対屋(たいのや)」と呼ばれる共同住宅に類する建物が存在したことが知られています。

余談ですが、中世末期には城郭の天守閣にもつながる望楼が流行して御所の対屋にまで望楼が設けられた可能性が知られています。高い女子力が高い流行アンテナにより養われたことは疑い様がありません。

 

次回以降には図面を用意しますが、少なくとも大奥に限ってみれば、かなりの設備を誇っています。専用の流し、専用のカマド、専用の風呂、専用の便所。バス・トイレ・キッチン完備です。家電製品はありませんが、専用の世話係(女中や部下)が居場所込みで専属します。水道は各ユニットまで配管されているわけではありませんが、排水設備はユニット毎に相当に整備されていたようです。

江戸時代とはいえ、現代のおんぼろアパートなんかより余程立派な住宅です。まあ、当然ながら、大奥で将軍に相対できる女性はそれなりの身分ということになっていますから、現代的には進学にあたりマンションを購入されるお嬢様や、豪華学生会館に入居されるお嬢様に相当します。

大名家の長局(奥の女性のための長屋)になると、さすがに便所や風呂は共同の例が増えますが、それでも結構な居室が整えられています。今年の大河ドラマ『花燃ゆ』でいずれ主人公の「文」が働きにゆく予定の萩藩の奥でもこういう長局ライフが展開されていたはずです。

 

女子だけの空間ばかりではナンですから、大名屋敷の外長屋など男子の空間も参照しつつ、「コーポ大奥」の様子を見てゆきたいと思います。

 

その後は「メゾン僧房」を予定しています。ざっくり言い換えると、古代以来の社宅の歴史ということになるでしょうか。

 

つづく