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時代が変われば基準も変わる、きみがイケメンに相当するかもしれない時代

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今週のお題「行ってみたい時代」

「ただしイケメンなら(略)」のただしがきが付くと、イケメンにあらずは人にあらずとまで思い詰める向きもあろうかというものです。しかしながら、やはり時代により基準も異なることもよく知られています。

最近、漫画化された『村上海賊の娘』を読んでいたら、ヒロインの容姿を現代的な美人として表現する一方で、当時の基準ではかなり残念と評しているシーンがありました。漫画の表現が正しいかどうかはさておき、戦国末期の容姿の判断基準が現代と異なっていたことは確かなようです。

さて、未婚の独身男性がいつまでも成人としての自覚がないんじゃないかといったお嘆きも目にしますが、これも現代にはじまる話ではありません。古代から中世の移動手段として牛車が知られていますが、これを先導する「牛飼童(うしかいのわらわ)」という存在を聞いた事があるかと思います。童というからには、未成年のこどもを想定することでしょう。髪型も当時の成年前を示す大童(おおわらわ)、ばさばさのおかっぱに描かれている例がよく見られます。

が、よーく見ると所作がだらけていたりします。顔つきも、かわいらしくありません。そして驚愕の事実を知らされます。牛飼童はおっさん。

成人するとおとなとしての義務も負うことになりますから、おとなであることに伴う社会的コストを負担できない場合は童形を保つことでその身分を維持して生活するほうを選択するということがおこるのだそうです。

同様の例は漫画の『大奥』(よしながふみ)でもちらっと登場します。前髪を落とし月代を剃り髷を結う姿がおとなの印ですが、諸般の事情から二アリーイコールおっさんの年になっても未成年の髪型で未成年利権を維持しようとする様子がみられます。そういう事例があってもおかしくはありません。

経済的事情から社会的に成人できないであるとか、成人しないほうが生活に利するとなれば、時代は変わっても似たような選択をすることになるのは何も不思議はないようです。

イケメンの話を忘れていました。現代のイケメンがイケメンではなかった時代ということですと、また中世あたりがちょうどいい感じではないかということになります。

 

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