デザインは力、薬師寺三重塔

その2018年となりましたが既に半月以上経過している今日。薬師寺三重塔へ参りましょう。

 

これがデザインの力というものです、と挙げたい薬師寺三重塔。伝統的建造物なんざ伝統にとらわれた画一的な建物じゃないか、現代の多様なデザインの氾濫こそ至高などと寝ぼけたことを言ってはいけない。当時の限られた技術と手法のなかで、最大限に趣向をこらした結果に刮目せよ。

 

じゃあ、どのへんが違うのか。

 

薬師寺西塔

薬師寺西塔。1980年代の再建。再建当時はカラーリングがギラギラしていると批判された。これでも控えめな色調としたらしい。古代の色彩の好みはギラギラ系だと知られてきて、他がもうギランギランな復元案をばしばし提示している現在では、むしろ地味に見える。

 

屋根を数えて、どこが三重塔なの、屋根は六層あるよね、と思うよな。これが、そもそもデザインなの。五重にしないで五重並みの高さをキープしようとしたら間延びする。そこを「裳階(もこし)」で埋めて、バランスよく屋根を配置している。技術的にも出来ることは限られていたはずで、そのなかで美しい形を希求した結果ではなかろうか、と。そのように考えたいところ。

 

薬師寺西塔

薬師寺西塔

裳階はそんなわけで、宙に浮いた裳階なのだ。基壇(地面直上の石積部分)の上が初重の裳階と屋根、その上に初重の屋根。次が二重目の裳階と屋根で、その上に二重目の屋根。次に最上の三重目の裳階と屋根、そして三重目の屋根。各重が裳階の腹巻きを巻いているような状態。よーく見ると、各層の下にカゴ状に裳階がぶら下がっているように見えて違和感があるかもしれない。

そして、我々は全裳階付の塔は薬師寺三重塔しか知らない。これを古代のスタンダードだと思ってみてしまう。だが、建設年代が比較的近いと考えられている法隆寺五重塔と比較しても、もうぜんぜん違う。

現代なら、例えば電通本社ビルと、森ビル。どちらもガラスのカーテンウォールで似たようなビルだ。似てはいるが、現代の目からはぜんぜん違う意匠の、違うビルだとわかる。しかし、1000年過ぎて、壁面の一部を写した写真をぱっと見て区別がつくだろうか?

区別がつくのは、一部のマニアだけだろう。古代の塔も、たぶん、そんな感じなのだ。

 

再建された西塔の写真ばかり挙げている理由は、以前にも述べたとおり。観に行った時は東塔が解体修理中だったから。

解体修理中の薬師寺東塔覆屋

解体修理中の薬師寺東塔覆屋

薬師寺南門

薬師寺南門

薬師寺南門から眺める境内。左が西塔、右が東塔。東西南北を意識した配置。

覆屋はかなりボリュームがある。最寄り駅の近鉄西ノ京駅から降りてすぐに、遠くに見えてくるほどだ。

西ノ京駅

近鉄西ノ京駅

近鉄西ノ京駅付近と薬師寺東塔覆屋

近鉄西ノ京駅付近と薬師寺東塔覆屋

平成32年に東塔の修理が終了の予定ということなので、また再訪したい。年号は平成じゃないだろうけどな。

 

さて、塔以外の見るべき物ということで、もうひとつ目的があった。

薬師寺東院堂

薬師寺東院堂

これまた、ちゃんとした写真がどうしても見当たらないパターン。当然のように、回廊から至近距離に建っていた。超広角レンズでなんとか全体が撮れる。

薬師寺東院堂

薬師寺東院堂

鎌倉時代の再建建物を江戸時代に向きを変えたとの説明がある。いわゆる「日本の建築」らしい要素が凝集されたような建物の典型例とされるが、伽藍の中ではなんだか微妙な気もする。ここと、ここと、ここ、と細部の価値を説明されないと、この建物の意義はわかりにくい。つらい。

 

薬師寺金堂

薬師寺金堂

こちらは昭和に再建された薬師寺金堂。現在の薬師寺が目指している空間は、なんといっても白鳳時代の伽藍なのだ。よく見ると、塔の意匠に合わせたものか、一層と二層にそれぞれ裳階がある。

 

薬師寺食堂復元看板

薬師寺食堂復元看板

白鳳伽藍は現在も着々と再建が続けられている。食堂(じきどう)の再建を示す看板。

 

 

しばらく五重塔から離れていたが、再建される白鳳伽藍からの連想で、模造というかインスパイア系というか、次回はそういう五重塔を紹介してみたい。