ならびたつふたつの塔、現存が知られるただ一対、当麻寺三重塔
「ふたつの塔」と聞くと、サウロンとガンダルフを先に連想するものと決まっています。いませんか。そうですか。
當麻寺の表記も併用される、当麻寺。歴史的経緯からは「當麻寺」が適当なのだろうが、駅名などに合わせて「当麻寺」表記で進めることにしよう。行ってみるまで別モノだと思ってたからね。少数派だとは思うけどな。少数派にこそ配慮。
当麻寺のふたつの塔。古代寺院の伽藍配置(建物の構成)には四天王寺式とか法隆寺式とか、いろいろ分類されているなかで、塔がふたつ並ぶ形式が薬師寺式とされている。薬師寺は西塔が残念なことになったため、1980年代の再建であり、創建当初のふたつの塔は揃っていない。
しかし、当麻寺は創建当初のふたつの塔がそろって現存している。創建当初とはいえ、東塔が奈良時代、西塔が平安時代、ちょこっと時期がずれていると考えられている。やはり一度にふたつの塔を揃えて建てることは、古代の剛毅な経済活動のなかでも困難だったのだろう。
せっかく残ったふたつの塔であるが、東塔と西塔を揃って眺めることができるポイントは限られている。建設当初は東西に塔が並び、南北方向の中心軸に沿って金堂と講堂が配置される伽藍であったようだが、現在はご覧のとおり、東西両塔の間も、塔と金堂の間もみっちりと建物で埋められている。写真では西塔の手前に電柱があるため、わかりづらい。金堂と講堂はちゃんと当初の位置に建物がある。鎌倉時代の再建らしい。
左側の建物が曼荼羅堂と呼ばれる本堂。奥に西塔がみえる。曼荼羅堂は改築を繰り返しており、基壇と亀腹から建物がはみだしている。有名な当麻曼荼羅に関してはWikipediaでも読んでいただくと、たいへん詳しい。
写真集などでも塔だけのよい写真が少ないことが不思議だったが、やはりというか、塔だけを撮影することは難しい状況。相輪まできれいに写すなら、このぐらい離れたところから撮影したい。西塔は痛んで危険と表示されており、あまり近づくことができなかった。
角の部分に斗が5つ乗った長い肘木が使われていることも、特徴のひとつとされる。
西塔と東塔の見分け方はとても簡単だ。東塔初重(一層目)は軒下に斗と肘木の組物だけが並んでいる。対して西塔は組物と組物の間に中備と呼ばれる束(間斗束)が配置されている。また、東塔の二重、三重は柱が三本並んでいる。西塔は三重まで柱が四本並んでいる。前掲の写真を見返していただくとわかりやすいだろう。
対となる塔でもデザインを揃えない様子や、境内の正面となる南側に参道ではなく山が位置するなど、由緒正しい伽藍配置を採用していながらなかなかに個性的ともいえる。
東塔の北側には中之坊が位置している。当麻寺中之坊。後西天皇の行幸の折りに整備された茶室、と説明されている。ふんふん。江戸時代ですね。
茶室に懸かる額には「双塔庵」。奈良時代の塔を借景として江戸時代の庭園に取り込んでしまう力技。このあたりの話は2015年にたずねた当時に記事にしている。
他に面白かった建物など。
最古と伝えられる石灯籠。金堂の正面に位置している。覆屋の中に大事にかくまわれている。
装飾が激しい蟇股(かえるまた)を撮影しているが、どの建物だったかわからない。石灯籠の近くで撮っている。
東大門とも呼ばれた仁王門。駅からの参道はこの門へ向かっている。天井が張ってあったり、木鼻があったり、奈良時代の建物ではないっぽい。
中之坊は別に拝観料が必要。受付がある建物は、おそらく元は庫裏(くり・台所)だろう。
当麻寺といえば陀羅尼助も知られている。現在でも用いられている止瀉薬とのことで、かつては当麻寺で製薬が行われていたというカマド。驚いたことに、陀羅尼助は醍醐寺の売店にも並んでいた。物を知らないから驚いているだけで、陀羅尼助分布からは不思議でもないらしい。
向拝に唐破風、さらに千鳥破風付の入母屋造と、これでもかと趣向を凝らして盛り盛りの稲荷社。装飾へのパッションなのか。
現在の境内から離れて薬師堂が位置している。元はこのあたりも境内だったのかもしれない。当麻寺の金堂や講堂と同じく、基壇(きだん・建物の下の基礎部分)が高い。
さて、当麻寺といえば中将姫の伝承とか、『死者の書』(折口信夫)であろう。『死者の書』は漫画(近藤ようこ)で読んだ。漫画のなかで当麻寺の遠景が描かれると、奈良時代の建物配置と照らして正しいかどうかが気になりはじめる。金堂と講堂は当時の位置から動いていないとして、現在の曼荼羅堂は規模が異なるはず。そもそも東西両塔が存在していたのだろうか。深く考えるのは止そう。
当麻名物よもぎ餅を宿でいただく前に包みを写していた。1個から販売してもらえる。よもぎの入った餅を小豆餡でくるんだお菓子。餅がふわふわでおいしい。
ともかくも、当初の目的は、現存するふたつの塔を観ることだったのだ。
五重塔コレクションに三重塔が紛れる不測の事態の端緒が、パワースポットのご利益からか、室生寺から長谷寺へ向かったはずが当麻寺到着という経緯は前回ご紹介した。電車は行き先をよく見て、落ち着いて乗るべし。三重が一対で、屋根の数的には五重より多いから、まあいいや。
pool.hatenablog.jpついでなので、次も三重塔の薬師寺にしよう。薬師寺なら、裳階も足せば屋根が六層かかっている。五重より屋根は十分に多い。大丈夫だろう。