塔のなかの塔、五重塔といえば五重塔、法隆寺五重塔
五重塔といえば、法隆寺五重塔。正面からどーん。しかし、この写真では塔の本体は見切れている。
正しくはこちら。ただし背面だが。何が違うかといえば、上の「相輪(そうりん)」が見切れていない。塔の本体はこの相輪と、相輪の下の心柱、心礎(心柱の礎石)、それと仏舎利。
建物っぽい部分は全て飾りなのだ。ジオングは正しかった。
屋根を数えると一段多い。一番下の屋根は、瓦葺ではなく板。この部分は「裳階(もこし)」と呼ばれて建物本体ではないとされる部分。初重の壁の周囲をカバーしてるような状態。正しい屋根は、きちんと五重だ。
回廊の内には、もう一棟、平安時代の建築として知られる大講堂。創建当時から、現在の大講堂の位置に建物は存在したらしい。ただし、回廊の外として。現在は大講堂周辺で回廊が屈曲している。やはり平安時代に現状に変更されたらしい。おかげで大講堂側からは金堂と五重塔を並べてきちんと写真に納められる。
左に金堂、右に五重塔、となるこの配置の写真が多いが、現地へゆくとこちらのほうが撮影しやすいからだろうなと思う。背景に中門がみえるとおり、本来は逆が正面なのだろう。しかし中門からの距離がそれほどないため、写真が撮り難い。
中門側から、超広角で撮るとこんな感じ。正面は左に五重塔、右に金堂。写真左端にちらっと写っている部分は中門の屋根。
中門の外側から、左に五重塔が見える。
回廊の外になるが、気になる建物。僧房に付属する「妻室」。小部屋が並ぶ長屋。隣接する東室の付属施設なのだろうが、この規模では用途が気になる。
五重塔のエリアは西院伽藍、夢殿などのエリアは東院伽藍として区別されている。ということで、東院伽藍へ移ろう。
夢殿などが含まれる東院伽藍は、西院伽藍の東に離れている。東院伽藍の絵殿と舎利殿。この建物の西側に、奈良時代としては貴重とされる建物がある。
奈良時代の住宅の数少ない遺構とされる伝法堂。奈良時代の住宅を移築した後、仏堂に改修した建物と考えられている。妻側には奈良時代を代表する構造「二重虹梁蟇股(にじゅうこうりょうかえるまた)」がみられる。虹梁(虹的に湾曲した梁)が二重になっていて、蟇股で積んである、それだけのことだが、「二重虹梁蟇股」と書くとつよそう。
奈良でつよそうな建物といえば、奈良公園へ行く度に気になる奈良県庁舎。1965年の建築らしい。
casabrutus.com現代建築としての紹介はCasa Brutusのサイトにあった。まあ、気になるよね。
今週のお題「私の癒やし」
この流れでこのお題なのだが、古い建築を眺めて癒されたりはしないな。情報量が多過ぎて疲れる。法隆寺五重塔とか、もう、理解に苦しむ要素だらけよ。
そこへ1500年分のなんだかんだが積み重なっている。読み取ろうとすれば癒される余裕はないと思うんだが、古刹では何が癒しとなるのだろう。美しいと感じる心は1500年前と変わらないと思いたいが、何も無いところへポンとこの建物が現れた衝撃は想像するしかない。
とかぼんやり考えていたが、上淀廃寺であるとか、正家廃寺のような遺構も存在していたということで、法隆寺西院伽藍にも残っていない仲間がたくさん存在していたけれども、なんだかんだで虚空からポンと現れたような残り方をしているだけなのかもしれない。